トピックス
最近、特に印象的な出来事や風景を自分の心象も添えて掲載します。
I will be posting recent events and scenery that have been particularly impressive, along with some of my own thoughts.
5月12日から16日まで三重県(+奈良県)へ撮影旅行(4泊)
1日目はまず日本棚田100選の坂本棚田(写真右)へ。歴史は400年以上とのこと。田植えを終えたばかりの広大な棚田だったが休耕中の棚もいくつかあった。過疎の山村で維持の大変さを感じる。その後、東海道五十三次の一つ、関宿へ。1.8Kmに亘る宿場町の街並みに江戸時代を肌で味わう(写真下)。2日目は伊賀上野城、芭蕉記念館そして城下を走る伊賀鉄道を撮り、青蓮寺川沿いの香落渓(かおちだに)をドライブし奈良県曽爾村の築140年という古民家で泊まった。宿を一人で仕切る主人のもてなし、料理、会話はまさに匠の技であった。
(まずはここまでの写真をUp。伊賀鉄道は「鉄道風景」のコーナーへUp)
3日目以降は近日中に内容と写真を掲載予定。
以降の旅程概略は以下。
3日目は伊勢本街道にある伊勢奥津へ。伊勢国の国司であった北畠一族に関する史跡である北畠神社、北畠館の庭園そして美杉町の歴史記念館などを訪ねた。記念館では北畠一族の拠点であった多気城下絵図などを入手。その後、名松線伊勢奥津駅から松阪市内へ、名松線の有名な撮影地点の4箇所を、時刻表を睨みながら回った。この日最後は南北朝時代、北畠一族が最初に伊勢に下り最初の拠点を築いた田丸城へ登った。4日目は伊勢市内の河崎商人館(江戸時代の伊勢の町並み、伊勢商人の家屋、商活動の資料を入手))、その近くにある北畠一族と関係の深い光明寺を訪ねたが、その荒れた姿には驚いた。気を取り直して朝熊山展望台までドライブし、遠く五十鈴川に架かる参宮線鉄橋を走る急行みえ18号を超望遠レンズで捉えることができた。この日は鳥羽で一泊し、帰京した。
左上写真は関宿を代表する大旅籠「玉屋」の客間。江戸時代に栄えた旅籠の姿を再現、当時使われた道具類などを展示している。
右上写真は宿場街道を走るGR86.。宿場町には着物姿が似合うがGR86でも違和感はない。
下写真は2日目の古民家を改造した宿の様子。場所は奈良県曽爾村。主人の先代までは農家で我々の部屋は蚕を飼っていた場所らしい。家屋の構造、造りは農家、養蚕家そのもの。調度、料理には主人のセンスがこもっている。場所は秘境と言ってもいいくらいだが客は各国から来るようで、気取らない日本風のもてなしが受けているに違いない。質量ともに満足できる夕食、朝食付きの宿泊費は街のビジネスホテル並みである。(3日目以降へ続く)
左上写真は伊勢 田丸城天守閣跡から田園を望む。田丸城は元々、南北朝時代、北畠氏が伊勢に下り南朝の拠点として築いたもの。北畠氏はその後約230年に亘り伊勢国司を勤め、戦国時代織田信長に滅ぼされるまで続いた。
右上写真は城郭跡の石垣に立ち、スマフォで写真を撮っていた女性を広角レンズで撮ったもの。
北畠氏は1400年代に田丸城から多気(たげ、現在は津市美杉町)に本拠を移し、多気は伊勢国の政治拠点として栄える。多気は京都、奈良、吉野から伊勢大湊を結ぶ要衝の地にある。1996年からの発掘調査で規模の大きな中世都市であることがわかってきた。
右上写真はその中世都市の栄華の跡、多気(たげ)伊勢国司北畠氏館跡の庭園。当代時代の庭園で埋もれずに残っていたものとして貴重なものという。北畠氏館跡の近くを伊勢本街道が走る。宿場町の街並みが今も残る街道は松阪、伊勢へと通じるが、近くを流れる雲出川に沿っても松阪へと繋がる。この雲出川にほぼ沿って走るのが名松線である。渓谷を沿う路線は台風が来るたびに崖崩れなどで運休を余儀なくされるが2009年の台風18号では致命的な被害を受け、7年間の運休となった。
左上写真は名松線下り終着駅の伊勢奥津駅の車両止め。近くには日本でただ一つ残る、蒸気機関車時代の給水塔がある。
左下写真は名松線伊勢鎌倉駅。なぜ「鎌倉」の名が付いているのか調べたが不明、美杉町の「ふるさと資料館」で訊いてみたがわからないという。おそらく、鎌倉幕府が倒された時代であったことが関係しているのかも。
右下写真は、比津駅-伊勢八知駅間の雲出川鉄橋を走るキハ11。他の名松線の写真は「鉄道風景」のコーナーに追加予定。
上写真は伊勢志摩の朝熊山にある天空のポスト。投函可能、集積は平日1回のみ。ここからは伊勢市内と鳥羽市内が一望できる。夜景が美しいところでもある。.
左下写真五十鈴川橋梁を渡る参宮線急行みえ18号を朝熊山頂から捉えたもの。
右下写真は同じく朝熊山頂から鳥羽方面を遠望したもの。近鉄鳥羽線の普通列車が森と海の間を走っている。あいにく雨模様だったため、霞んだ景色だが晴れた日にはあざやかな彩りの光景が見られるはず。
下2枚の写真は伊勢市内の伊勢河崎商人館でのもの。河崎は伊勢神宮門前町の山田・宇治へ物資を運ぶために市内を流れる勢田川を利用した水上輸送と物資を荷揚げした後の陸上輸送を行う仲介する「川の港」として賑わった。伊勢河崎は現在でも、江戸時代に発展した問屋街の古い町並みが残る。「伊勢河崎商人館」は600坪の敷地に江戸、明治時代に建築された蔵、町屋が公開されている。
水路周辺は非常に良く整備されている。両岸に遊歩道がある他、水路内にも所々降り立つことができ、飛び石や小さな橋で両岸を渡り歩くことができる。桜の木だけでなく様々な草木が植えられ四季ごとの風景を楽しむことができる。
下の写真は南武線船島鉄橋付近。ローカル鉄道と違い頻繁に列車が通過するため、さまざまな箇所から鉄道風景を撮ることができる。
CP+2024 横浜
CP+は、「写真や映像の楽しさを、見て、触って、仲間と共感できる、世界中のカメラファンが集まるイベント」として毎年開催される。今年は2024年2月22日(木)~25日(日)までの4日間、パシフィコ横浜で開催され、会場イベントとオンラインで配信されるオンラインイベント行われた。
このうち、22日から24日の3日間を会場参加、最終日は(疲れたので)オンラインで見たいセミナーを自宅から参加した。
個人的な目的はSonyαシリーズの最新機種であるα9IIIを実際手にして撮影したり、それを使ったプロ写真家の作品とその評価を確認することであった。そして鉄道写真家の中井精也氏の講演でその目的を達することができたので満足している。まぁ、この最新機は前評判通りの「革命的」なシロモノでその進化には驚かされた。これ以上もう進化させる必要があるのかと思ってしまう。シャッタースピードやコマドリ枚数/秒が一桁アップしたのも凄いが、個人的には被写体追随機能の進化には唸らせられた。中井精也氏をして「ピント合わせに関して、プロ写真家はカメラに敗北した。これからはピント合わせはカメラに全て任せれば良い」と白旗を降っていた。撮影時の最も煩わしい作業であるピント合わせから人はついに解放される日が来たということだろう。
(以下に、会場でのスナップを掲載。またついでに撮った横浜ベイエリアの夜景や街角写真を「Gallery」の項に集めまる予定)
各メーカーのブース内ではカメラ、レンズの試し撮りのためにスピード性能や色彩の華やかさ、繊細さの表現を実感できるためのデモ(上写真2枚)が行われた。私も目当ての最新機器を手にして撮影して映像を持ち帰った。(値段さえ気にしなければいますぐに欲しい機器ばかり!)
下左写真は超望遠レンズの放列。試し撮りのために高所に設けられたもので待ち時間が30分を超える製品も。下右写真は鉄道写真家、中井精也氏のセミナー風景。鉄道写真を撮る者なら氏を知らない者はいない。今回は数回のセミナーを行ったが毎回黒山の人だかりだった。(十分聞けなかったところもあり後でオンライン配信されるものを是非見たい)。
北八ヶ岳・坪庭(2237m) 2024.2.13
連休明けに北八ヶ岳の坪庭(2237m)へ雪山景色を撮りに行った。片道3時間の日帰り強行ドライブだったが天候に恵まれ無事撮影できた。
坪庭は北八ヶ岳ロープウエイの山頂駅の先に広がる自然園で国定公園第一種特別保護地域に指定されている。1周30分~40分ほどの散策路内には、季節ごとに高山植物が咲き、秋はツツジ科の植物を中心に紅葉風景を楽しめる。
一方、冬は氷点下マイナス10度ほど、風速10数mとなる厳しい環境となる。だが雪山景色の撮影場所としては以前からぜひ行ってみたいところだった。「庭」と言っても冬は防寒服、防寒靴が必須で長さ30−40mほどの雪で覆われた急斜面がありアイゼンも必要となる。今回は重い機材を背負っていたため行ける場所のみを歩いた。それでも快晴の下での雪に覆われた山肌の樹々や、強風に舞い上がる雪によるダイヤモンドダストなどを撮影できた。
山頂駅にある展望台は三脚が置けないほどの凍りつくような強風でシャッターを切る指の感覚がなくなるほどだったが、北、中央、南アルプスの絶景を収めることができた。
(上写真の遠方の台形の山は御嶽山(3067m)
帰路には小海線小淵沢駅と甲斐小泉駅の区間沿いで日没迫る鉄道風景を撮った。これらは「鉄道風景」にまとめて掲載します。
上の3枚は坪庭の遊歩道で撮ったもの。「遊歩道」と言っても雪に覆われているため雪原を歩いているようなもので深みにハマったりすると危険。時折強風が吹くと雪片が舞い上がり、陽光に反射してダイヤモンドダストとなる。その美しい瞬間を狙う。うさぎと思われる足跡がある。小動物達の姿も撮りたかったが現れなかった。
上の写真は北八ヶ岳ロープウエイ山頂駅展望台。日本アルプス、八ヶ岳がパノラマで見渡せる。温度はマイナス4度だが強風で体感はマイナス10度だろう。暖冬のせいか山々の雪は少ないような気がする。樹氷を期待していたが坪庭の周辺では見かけなかった。日が昇る前に来る必要があるのか。さらに高い場所へ行く必要があるのか。重い撮影機材にさらに山岳歩行の装備は流石にきついだろうなぁ。いずれにせよ、またの機会に挑戦しよう。
Sony α7IV, Sony FE 100-400 F4.5-5.6. GM OSS, SIGMA 14-24 F2.8 DG DN |Art 019, TAMRON 28-75mm F/2.8 Di III VXD G2 + 三脚
The Road Race Tokyo 2023 レースは中盤、勝負はこれから
Sony α7IV 14-24mm F2.8 DG DN|Art 019
14.6mm 1/50秒 f/11 ISO100
上写真は「デジタルカメラマガジン」2024年2月号のフォトコンテスト(デジタルフォト部門)の入選作品。2023年12月3日に実施された自転車ロードレース(The Road Race Tokyo 2023)を撮った(多摩市上之根大通り)。毎年行われるこのレースを流し撮りしたいと思っていた。前日に撮影場所をここに決めていたが、決める条件はレースが中盤で集団がバラけていないこと、下り坂でスピードが出ていること、順光であること、そして沿道に人が多く集まらないこと、だった(事前に主催者が見物に便利な場所としていたポイントは敢えて避けた)。当日は予想通過時間の90分前からこの場所に陣取りその時を待った。ほぼ予想時刻に先頭車体が見えたが一台のみだ。「もうバラけてしまったのか」と焦ったが、マラソンでも先行者がいるのはよくあるパターン。その200mほど後ろには集団の塊が見えた。だが通過した先行者のスピードが思ったより速く、しかも歩道側スレスレに寄っている。あらかじめ流し撮りのためのシャッタースピードを1/30秒に設定していたが、咄嗟に1/50秒へ変えた。その時もう集団は目の前に狭っていた。集団が駆け抜ける時の車輪が空気を切り裂く音、そして風圧の強さに圧倒された。ほとんど思考停止状態で走り抜ける一人の選手にピントを合わせ連写した。その間数秒間。一瞬の出来事だった。流し撮りの成功確率は低い。カメラと高速の被写体が近い場合はなおさらだ。今回は幸運だったとしか言いようがない。(前回の同誌での入選作品(2023年9月)は「鉄道写真」の「中央線・八高線」に掲載しています)
ウクライナ国立バレエ日本公園
2024年1月6日、ウクライナ国立バレエ(旧キエフ・バレエ)の「ジゼル」を東京文化会館で観劇した。ウクライナ国立バレエはソ連時代からのロシア派バレエの三大拠点の一つであり続けたという歴史と伝統をもつ(他の二つはモスクワと旧都ペテルブルグ)。同バレエは1972年に日本で初公演を行い、2007年からはほぼ毎年日本公演を実施している。今回の来日公演3演目の一つ「ジゼル」はロマンティック・バレエの傑作であり、1841年にパリ・オペラ座で初演されて以来ヨーロッパ各地での公演が成功し、歴史上これほどまでに広範囲に公演れたバレエはないと言われている。旧キエフ・バレエでは1926年に初演され、これまでわずかな改訂が行われたのみだったが、2023年にウクライナ国立バレエのチームによって新版「ジゼル」が制作され、今回の日本公演が世界初公演となった。
かつて、「ジゼル」を出張先のロシア・ペテルブルグで観劇したことがある。場所は歴史ある有名なマリンスキー劇場。バレエなど門外漢だったが同僚に「せっかくペテルベルグに来たのだから」と誘われ観劇したのが「ジゼル」だった。事前知識なしで観たバレエは(その内容は後で調べてわかったが)、ヨーロッパで、世界で200年近く最高傑作と評価されてきた芸術作品というだけあって感動的に美しいものだった。ダンサー達の洗練された踊り、その肉体の動きや顔の表情、手足の所作は極限まで「完全なる美しさ」を追求したもののように思えたものだ。 ロシアの侵攻という戦禍の中で、一時は活動できる団員が30人ほどとなったようだが、今では100人以上まで戻り、今回ウクライナ国立歌劇場管弦楽団を伴っての公演となった。
何十年ぶりかで観た「ジゼル」は仔細は忘れていたが第二幕でのクライマックスでのジゼルと妖精達の踊りの美しさにかつての感動が蘇ってきた。 (写真上はキーウ市内(ロシアの侵略前)。写真下は当日の東京文化会館での「ジゼル」終幕後のカーテンコール。この時間帯での観客による撮影は許可された)
ガビチョウ (英名 Chinese Hwamei)
2023.3.24 多摩市・落合
多摩川の野鳥風景
多摩川の河口(羽田付近)から中流の秋川との合流地点(通称、多摩川トライアングル)まで数ヶ月かけて途切れ途切れではあるが全流域を歩いた。その中で聖蹟桜ヶ丘付近は水鳥や猛禽類の有数の撮影、観察場所と思う。自然のままの水域、河川敷ともに広く、多摩川橋梁の下には堰があり、流域の変化が絶好の野鳥の餌場となっている。何より交通の便が良く、川沿いの駐車場を基地にして一日中歩き回ることができるる。
写真右は2023年11月,、聖蹟桜ヶ丘近くの多摩川にダイブしたミサゴ。ミサゴの英名はOsprey。米軍機オスプレイと同じように垂直に降下し、脚から水中に飛び込み魚を掴み取る。写真はダイブしたが採餌に失敗し離水した瞬間である。この辺りは1日に2、3度飛来すればいい方で撮影チャンスは少ない。
珍しいカモ類が2022年の12月にここ多摩川・聖蹟桜ヶ丘に現れた。ヒメハジロである。アメリカ生息の渡り鳥で、通常はアメリカ北部で繁殖して、冬の間はアラスカやアメリカ西部・南部で越冬するという。日本で二十数年ぶりに観察された珍しい渡り鳥として新聞で話題となり、連日多くのカメラマンが聖蹟桜ヶ丘に集まった(休日はザッとみて100人以上)。他のカモ類とは異なる体の構造ですぐに見分けがつく。頭部が非常に大きく後頭部に大きな白色斑がある。頭部は光線の加減により緑、紫、青に輝き非常に美しい姿である。
今年(2024年)はこの場所では珍しいカモ類は見かけず、また飛来した数そのものは少ないような気がする。それでも多摩川を餌場とするミサゴやハイタカなどの猛禽類が毎日定期便のように川筋に沿って飛来し撮影にはスリリングな場所である。
(撮影:SONY α 7IV+FE 100-400mm f/5.6-6.3 GM OSS)